今回のお話は、流産を経験したお話(前編『妊娠したお話』)の続きです。
流産の体験談を含みますので、苦手な方は読まないでいただくか、最後のまとめだけお読みください。
よろしくお願いします。(⁎ᵕᴗᵕ⁎)
流産を経験したお話(後編『流産したお話』)
なかなか落ち着きを見せない引っ越し作業。
しかしきっと再就職は厳しいだろうと諦めていた私は、失業手当を頂きながらしばらく専業主婦になる予定でした。
ある程度生活できるようになったら、後の荷解きはとりあえず保留。
家にいる時間も増えたし、のんびりやろうと考えていました。
転院先の精神科へも行き、現状を説明して服薬は中断したままに。
通院だけすることを決めました。
転院先では、妊婦さんや育児中の方を専門に見ている先生にお世話になることが決まり、一安心。
のんびりカフェインレスの飲み物を探したり、空だった冷蔵庫がやっと充実を見せたりしていきました。
つわりに苦しみながらも、やっと引っ越し作業も一旦落ち着きを見せたある日。
買い物中に突然、水っぽいものがたくさん下着に出た気がしました。
そういえばトイレに行ってなかったから尿漏れ?と思いながらすぐに確認すると、尿ではなさそうで、なにか水っぽいおりもののようなものが出ていました。
色はなく、匂いは例えるならば精液のような、そんな匂い。
ネットで調べてみると、妊娠初期は水っぽいおりものが出やすいそうですが、しかし量がかなり多かったためにとても不安になりました。
万が一、破水や細菌感染だったらどうしよう。
血の気が引いていった感覚を覚えています。
産婦人科の予約は、あと1週間ほど先でした。
引っ越し前に通院していた産婦人科の先生には、引っ越しをするのでと紹介状を書いて頂いていました。
しかし転院先に連絡をするととても混雑しているとのことで、予約が取れたのが心拍が確認出来てから3週後だったのです。
予約なしでも来院して大丈夫だと聞いていたので、翌朝病院へ連絡して受診することに。
病院の方からも、受診した方がいいと思いますと言われ、朝一で向かいました。
不安はすごくありましたが、でもきっとなんでもなくて、今日心拍を確認出来たらきっと母子手帳をもらいに行けるだろうと。
どこか楽観的な思いもありました。
不安な症状から婦人科を受診してみても、今まで異常がないとしか言われたことがありません。
ブライダルチェックも問題なかったし、つわりはまだとても辛い。
だからきっとただの尿漏れか正常なおりものだろう。
きっと大丈夫だろうと思っていました。
ちょうどその日は旦那さんもお休みだったので、病院まで送ってもらいました。
旦那さんも、その日に母子手帳をもらいに行こうと考えていたようです。
せっかくならと洗車をして、私を自宅で待ってくれていました。
診察室に呼ばれ、紹介状を渡して状況を説明し、内診台へ。
すぐ私の目の前に、おなかの中の状況が見えるモニターがありました。
内診が始まると、見えてきたのは前回よりも大きくなっている我が子。
しかし、いつまで経っても心拍の表示が現れませんでした。
そういうモニターなのかもしれない。
そう一瞬思いましたが、医師の様子が慌ただしくなり、別の先生も呼んで何やら相談し始めた様子を見て、私は戸惑いを覚えました。
その時
「これは、たしかに、流産ですね……」
そう、小さな声で聞こえました。
私は、どういう意味なのか理解できませんでした。
しかし、先生がカーテンを開けて私の顔をはっきり見ながら
「残念ですが、心拍が確認できませんでした……」
と悲しそうな表情をしました。
時が止まってしまったような不思議な感覚を覚えました。
内診台を降りて、稽留流産だと告げられて。
薬にアレルギーのある体質だからもっと大きな病院へ行った方がいいと、紹介状を受け取りました。
紹介状をもらい、会計を待ち。
よく頭が整理できなくて、涙も出なくて。
流産について調べてみても、内容が理解できず。
とりあえず旦那さんにラインを送りました。
「ごめんなさい」
「心臓が、動いてなかった」
おぼろげな医師の話だと、つい一昨日までは心拍があったようですが、昨日あたりにでも、もしかしたら止まってしまったのかもと。
つわりはまだありました。
治まってません。
私はつわりが辛いなら、きっと赤ちゃんは元気。
そう信じてました。
でも現実は、つわりは赤ちゃんが元気な証拠ではありません。
つわりがあっても、出血がなくても、流産することがあるのです。
稽留流産は、何の前触れもなく胎児の心拍が確認できなくなるもの。
初期の流産は、胎児の染色体異常の場合が多く、防ぐ方法もありません。
私は、流産の兆候に気づくこともなく、防ぐこともできず。
母親として守ることが出来なかった自分の無力さを、回らない頭でぼーっとしながら思いました。
旦那さんはすぐに駆け付けてくれました。
車から走ってきた旦那さんを見て、私の目からはやっと涙が零れました。
旦那さんも私を抱きしめると、涙を流しているようでした。
それを見て、私はやっと現実を理解しました。
旦那さんへの申し訳なさと、自分の無力さ、我が子への罪悪感。
そして何よりも、描いた幸せな未来が崩れ落ちる辛さ。
涙は段々と増え、なかなか止まる様子を見せませんでした。
一旦車の中へ入って、泣きじゃくりながら状況を説明して。
2人で思いっきり泣きました。
旦那さんは、私と同じくらいたくさん涙を流してくれました。
一緒に泣いてくれてすごく嬉しかったです。
それと同時に「あぁ、私たちって、こんなに子どもが欲しかったんだな」と気づきました。
目の前に、こんなにも私との子を欲してくれた旦那さんがいる。
でも、私のおなかの中には心臓の動かない我が子。
私が引っ越し作業を頑張っちゃったからかな。
私がもっとゆっくりしていればこの子はもしかしたら。
私がこの子を殺したんだ。きっとそうだ。
初期の流産はほとんどが胎児の染色体異常で、防ぎようのないことはあらかじめ知っていました。
それでも、動かない我が子を抱えているのが現状で。
どうしても、自分に原因があったんじゃないかと自分を責めてなりませんでした。
でももしかしたら心臓が動いてないなんて嘘で、まだ生きてるんじゃないかと。
そんな思いも捨てきれずにありました。
ネットで調べてみると、一度流産だと確認されても、そのあと心拍が動き出したり、心拍が小さかっただけでその後確認できる場合もあるようです。
明日にでも大きな病院へと言われていたので、泣いて泣いて少し落ち着いた後、紹介を受けた病院へ連絡し、朝一で行くことになりました。
次の日、診察を受けましたが、やっぱり動いていませんでした。
診断は「9週稽留流産」です。
一度心拍が確認されても、9週目付近で止まってしまうこともあるようです。
調べてみると「魔の9週」「9週の壁」と呼ばれている妊娠初期のハードルのようで、同じような経験をしている人がたくさんいました。
手術の日程を調整して、私はアレルギー体質であることから、2泊3日の入院と手術が決まりました。
淡々とされる説明を、ADHDの薬の服用をやめていたので上の空になりがちな耳で一生懸命聞きました。
やっぱりダメだった。
私はしばらく動かないこの子と過ごしたら、さよならしなくちゃいけないんだ。
悲しかったですが、まだピンと来ていない自分もいました。
突然動いてませんと言われても。
簡単に割り切れるわけはない。
しかしたくさん泣いたからか、その時涙は出ませんでした。
「今回は仕方なかったけど、次また頑張ろう」
そう思える自分もいました。
しかしその日のうちに、ケロッと気持ちが切り替わったかと思うと、何故か周りがびっくりするくらいポジティブになりました。
行けていなかったディズニーチケットの存在を思い出し、日にちを決めてチケット抽選を行うと、夕方にはドコモの契約内容の変更に行くくらいには元気でした。
旦那さんの方がむしろ悲しみが深く、ポジティブすぎる私に困惑。
両親や義実家の方がショックを受けているように感じ、周りが異様に私に優しかったことを覚えています。
お義母さんとお義姉さんは、流産を経験したことがあるそうです。
そのため、すごく私の事を心配してくれました。
両親も私が酷く落ち込んでるんじゃないかと心配して、しばらく毎日のように電話をかけてくれました。
しかし当の本人は「悲しいから当たったらディズニー行ってくるね!」と元気。
両親も電話をくれるたびに困惑。
考えた末に両親は「あなたは母になって強くなったのね……」と涙を流して感動していました。
実は何故か、私のマタニティハイは続いたままだったのです。
流産して悲しかったのは確かです。
「流産しちゃったけど、まあ、しょうがない!」
とすぐに割り切れた自分がいたことも確かでした。
薄情でサイコパスのように見えるかもしれませんが、もともと私はすごくネガティブで傷つきやすい人間です。
発達障害から自尊心が低く、自己嫌悪が激しくてうつを発症している人間。
自分でもびっくりのポジティブ思考さでした。
もしかしたら傷つきやすい私に対する、我が子からのプレゼントだったのかも。
なんて。
きっと優しい子だったんだと思っています。
お腹を撫でて「また必ず帰ってきてね」と。
「私たちのところに来てくれてありがとう」と、お礼を言いました。
しかしそれでも不定期に、流産の苦しみはどうしてもやってきます。
夜、突然泣き出すこともありました。
もしかしたらもう授かれないのかも。
私には、元気な子供を産むことはできないかもと、心配でなりません。
正直今でも心配です。
そのたびに、旦那さんが慰めてくれました。
抱きしめてくれて、撫でてくれて、一緒に涙を流してくれる。
「ヨメちゃんは悪くないよ。1番辛いのは、ヨメちゃんだもんね。いっぱい泣いていいんだよ」
私は、旦那さんがいてくれたおかげで、救われたのだと思います。
ある日、お義姉さんが漫画を貸してくれました。
『おかあさん、お空のセカイのはなしをしてあげる-胎内記憶ガールの日常』
という、竹内文香さんが執筆された漫画です。
流産の話をすると「お空に忘れ物をしちゃったんだね」とよく慰められました。
インスタなどでこのお話のことはなんとなく知っていました。
でも正直、そんなこと言われたって。
そんな子どものスピリチュアルな話を信じたって、救われないよ。
内心、その話をされるたびに苦しくなりました。
しかし読んでみると、その漫画は私が思っていたより、すごく、すごくいいお話でした。
思わず号泣してしまいました。
流産していない人間だった頃の私なら、泣くことはなかったと思います。
でも、動かない我が子を抱えている私の胸にはとても刺さりました。
真偽のほどは分かりませんが、私の子どもだから、きっと忘れ物し放題だったかもしれないと泣きながら笑ってしまいました。
いつか戻ってきてくれるはず。
この漫画は、私をまたポジティブにしてくれました。
以上が、私が流産を経験したお話です。
次回は、流産手術をした時のお話をしようと思っていますので、そちらもご参考になればと思います。
今回の経験からお伝えしたいことは
- つわりがあっても流産する可能性はある
- 流産しても自分を責めない
- いっぱい泣いてすっきりしよう
- パートナーと助け合って生活することが大切
ということです。
流産はとても辛いことですが、仕方ないことでもあります。
自分をあまり責めずに、いっぱい泣いてすっきりして、新たな楽しみの目標を立ててみてはいかがでしょうか?
お力になれたら幸いです。お気軽にコメントもくださいね。( ´꒳`*)人(*´꒳` )
また次回の更新でお会いしましょう!
それでは~♪
★まとめ
- 妊娠したにも関わらず妊娠22週目までに胎児(胎芽)が亡くなってしまい、妊娠が継続できなくなる状態を流産という
- 妊娠12週目までに流産することが多く、流産の8割は12週未満に起こる
- 流産してしまう割合は20%前後。年齢が上がるにつれてその確率は高まる
- 妊娠初期の流産原因はほとんどが胎児の染色体異常。母体に原因があることはほとんどない
- 初期の流産を防ぐ方法はない
- 心拍が確認できると流産確率は低くなるが、その2週間後に再度心拍が確認できれば、流産の確率はさらに低くなる
- 妊娠12週目以降の流産は、感染症などが原因となる場合や子宮頸管無力症などの病気による原因が主
- おりものや出血、おなかが張る、おなかが痛いなどの異変がある場合には、すぐ病院へ連絡して受診すべきか確認
- 出血や痛みを伴う流産もあるが、出血も痛みもなく流産することもある
- 流産していてもつわりはある
- 流産しても自分やパートナーを責めない
- パートナーと助けあっていくことが大切