こんにちは、ヒトノヨメです。
今回は「私が精神科に通院するまで」のお話を
していこうと思います。
精神科って、すごく行くまでのハードルが高いものだと思ってます。
「行った方がいいかもしれない」
そうは思っても、なかなか予約する勇気は出ない。
きっと自分の苦しみは普通で、病気ではない。
ただ苦しいのは、自分がダメだから。
発達障害に近い人間かもしれないけど、ただダメな人間であるだけかもしれない。
そんな悩みを抱えている方も多いと思います。
実際、私もそんな人間でした。
私が精神科への通院を始めたのは、2019年の秋。
私は、大人になってから発達障害が分かった人間のひとりです。
通院したきっかけは、旦那さんの「精神科へ行ってみようか」の言葉。
旦那さんが病院を探してくれたおかげで、私は今元気に過ごしています。
今日はそんな私が、精神科への通院するまでのお話をしていきたいと思います。
何かの参考になれば幸いです。
途中、このブログを読むことが辛く感じる方もいると思います。
そんな方は、読まない選択をしていただいて構いません。
最後の方に今回伝えたいことをまとめておきますので、よろしければ最後のほうだけでも読んでいただけたら幸いです。
よろしくお願いします。(⁎ᵕᴗᵕ⁎)
思えば、自分の生きにくさを感じたのは小学4年生の頃でした。
なんだかいつも怠くて頭が痛くて気持ちが悪い。
でも、病院に行っても異常はない。風邪でもない。
ただただ辛かったけど、たぶん生きるってこういうものなのかもしれないと思い始めていました。
とても頑固な子どもで、ルールを守れない人間の事がとにかく理解できない。
ふざけているクラスメイトには我慢ならず手を上げたこともあり、みんながサボってやっていない教室掃除も、1人だけで黙々と終わらせることが私の日常でした。
それでもクラスから浮いているわけではなく、仲良くしている子もいるけれど、特定のグループにはいないので、いつもグループ分けで余る。
人間関係に困っていたわけではないけれど、特に円滑であるわけでもなく。
常に「なんで人ってルールが守れなくて、悪いことをしたり、戦争が起きてしまったりするんだろう」と考えていました。
勉強に関しては、時計が上手く読めなかったり、人の感情が分かりにくかったり、計算ミスが激しいために苦労はしました。
しかし自分なりに工夫することで、教科書通りの方法が理解できなくても、とりあえず問題を解くことができるため、成績は悪くありません。
しいて言えば、工夫のしようがない体育だけが苦手でした。
学校生活を続ける中である日、「みんなと仲良くとは言われたけど、実際みんなと仲良くして、特定の仲のいい子がいないといろいろと不便だ」ということに気づき、次第に少数の人間だけとコミュニケーションをとるように。
ルールはある程度守って、ある程度破った方が生きやすいことも知って、不真面目にもなりました。
また、男の子に「あいつは生意気だ」と陰口や悪口を言われ始めたことから男の子が嫌いになり、次第にそれが男性恐怖症へと発展して、中学校に上がってから大学生になるまで、ほとんど男の子と口をきくことはありませんでした。
そんなこんなで高校生になった頃。
放課後に友達と図書室に集まって、勉強や読書をすることが日課になっていました。
その頃の私はいわゆる本の虫状態でしたが、読書好きな友達や小論文対策に躍起になる友達も多かったために、うまくコミュニケーションをとることが出来ていたように思います。
その時たまたま、「発達障害」についての本と出会いました。
そこには発達障害の特徴や、それによる「生きにくさ」が書かれていました。
私はその本を読んで、思いました。
「自分ももしかしたら発達障害なんじゃないか?」
その頃の私は、「周りと違う人間であるような自分」が大っ嫌いで悩んでいました。
両親に「お前はみんなといつも逆のことをする」「お前はダメだ」と言われ続けていたからかもしれません。
両親は、傍から見ても私の事を愛してくれています。
しかしその分心配なのか、欠点の多い私を注意することが多くありました。
誕生日には決まって「今年こそは良い子になりなさい」が母の決まり文句。
私は誕生日が嫌いで、どんなにいい子にしているつもりでも「いい子」として認められない自分が嫌でした。
母としては、私が自分の考えにそぐわないことに対して反対ばかりすることが、いつかコミュニケーションの障害になることを危惧していたんだと思います。
両親にはたくさん愛してもらった自覚があります。
とても感謝をしていて、恨んでいることはありません。
全ては愛情のある行動でした。
それでも私が自尊心をなくし、うつを発症するには十分すぎる原因になってしまったのかもしれません。
なんともやるせない思いは今でも抱えています。
「発達障害」を知ったある日、父や母に相談しました。
しかし、それを認めてもらえることはありませんでした。
母には「大丈夫、ヨメは普通だから、大丈夫だよ」と言われました。
父には「一生懸命育ててやってるのに、何を言い出すんだ」と言われました。
両親は、ちょっと変わってる私を必死に育ててくれました。
障害に対して偏見のある人たちではありません。
普段から福祉施設の子と触れ合ったり、街中で困っている人にすぐ手を差し伸べるような人たちです。
それでも「私が発達障害かもしれない」ことは、自分の子と自分の子育てを否定されるような気がしたのでしょう。
認めてもらえなくて、私は辛かったです。
しかし同時に「精神科へ行ってはいけない」と感じてしまいました。
それでも私の身体は正直で、さまざまな不調を訴えていきます。
小学4年生から、慢性的な頭痛と吐き気、倦怠感。
小学6年生から、いなくなりたいという願望が芽生えました。
高校生になると、突発的に訪れるめまいや突然の視力の低下に悩まされ。
大学生になると、片頭痛を起こすようになり、寝付きにくいことや悪夢に悩まされるようになりました。
酷く体調の悪さを感じた時には内科へ行きましたが、「ストレス」の一言ですべて片づけられてしまうので、次第に病院へ行くことも敬遠するように。
そして人生のどん底を感じたのは、大学4年生の時です。
就活はうまくいかず、当時付き合っていた彼氏に振られ、頑張って取り組んできた卒業研究はうまく結果が出せず、12月に白紙へ。
共同研究を始めると、共同研究者にいじめを受けるようになりました。
その頃の私は、正直限界でした。
大学生の頃付き合っていた彼はモラハラ気質で、よく私の事を馬鹿にしていました。「ダメなやつ」と言われ続け、それでも別れることは許されず。
押しに弱かった私が、何度もされる告白に頷いてしまったのが運の尽きでした。
デートや食事はすべて私が計画。彼の機嫌を取ることが最優先。そのうちデートや連絡をめんどくさがれるようになり、最終的には性欲のはけ口にされているような日常。
それでも「ダメなやつ」である私は何が正しいかもわからず、彼に怒られないようにすることに必死でした。
めんどくさくなったと捨てられたとき、「ダメなやつ」である私はどうすればいいのか分かりませんでした。
就活も卒業研究も上手くいかない。彼氏にも振られた「ダメなやつ」。
死んでしまわないといけないような気さえしました。
そんな時、助けてくれたのが今の旦那さんです。
旦那さんはもともと同じサークルの同級生で、彼の友達でした。
たまたま連絡先を知っていたことから相談をし、私のあまりいいとは言えない状況を旦那さんが知ることになりました。
旦那さんはとてもいい人でした。
大学構内で突然泣き出したり倒れてしまうような私をよく助けてくれました。
旦那さん曰く「あまりにも不幸で可哀そうすぎたから助けようと思っただけ」とのことですが、ただ親切に助けてくれる旦那さんが私には新鮮でした。
旦那さんの助けもあって、私は無事に大学を卒業することが出来ました。
その頃には、どん底にいたはずの私も笑えるようになっていました。
旦那さんは「ただ困っている人を助けただけだから、当たり前のことをしたまで」と言います。
でも私にとっては、感謝してもしてもしきれない恩人なのです、実は。
旦那さんは、笑顔を見せるようになった私に対して「この子をもっと笑顔にしてあげたい」と思ったと、のちに教えてくれました。
映画に夢中になるあまりポップコーンをこぼし続けている私を見て、旦那さんは結婚を前提としたお付き合いの提案を決心してくれました。
私はその夜の告白を、笑顔で受けました。
それからの人生はとてもうまくいっていたように感じます。
社会人生活は慣れない仕事に戸惑ったものの、親切な先輩や同僚、優しい旦那さんの影響でどうにか働くことが出来ていました。
とてもやりがいのある、楽しい仕事でした。
しかし、もとよりキャパが少なく、いっぱいいっぱいになりやすい私は、ストレスをため込むこともやはり多くありました。
泣き出すことも、イライラすることも、退行してしまうこともあり、旦那さんや家族にたくさん迷惑をかけました。
そんな私のダメなところをすべて知っているにも関わらず、旦那さんは私と結婚する道を選んでくれました。
正直、自分に自信のない私のどこに惹かれてくれたのかは分かりませんが、すごく嬉しかったのを覚えています。
両親は私の事を心配しながらも、旦那さんの人柄にとても安心し、結婚を喜んでくれました。
しかし、結婚を機に引っ越しと転職をした私は、また不安定になることが多くなりました。とても旦那さんには迷惑をかけたと思っています。
突然泣き出す、家を飛び出す、自分を殴ったりつねる、会話が出来なくなる、いなくなってしまいたいと暴れる、眠れなくて落ち込む、寝言はひどく叫びだす。
とんでもなく、私は大変な奴だったでしょう。
迷惑をかけている罪悪感があり、私は旦那さんに「発達障害」や精神障害の話を相談しました。
否定されるかもしれない怖さもありましたが、旦那さんは真剣に私の話を聞いてくれました。
私の苦しさに「とても辛かったよね」と抱きしめてくれました。
こんな私を受け止めてくれたことが、とても嬉しかったです。
そんな旦那さんから提案がありました。
「精神科に行ってみようよ、一緒に行ってあげるから」
その提案に、私は否定的でした。
精神科にいいイメージがなく、精神科に通ったら最後、「あなたは病気です」と言われるのも、「あなたはただのダメな人間です」と言われるかもしれないのも怖かったからです。
正直、精神科に当たりはずれはあります。
精神科に勇気を出していったのに悪化してしまう人もいます。
なので余計行きたくありませんでした。
それを聞いた旦那さんは、一生懸命精神科を探してくれました。
そしてレビューの良さに惹かれた病院へ、私を連れて行ってくれました。
精神科へ行くのも、ついてから問診表を書くのも怖かったです。
でも、旦那さんが一緒だったので頑張れました。
怖がっていた精神科ですが、旦那さんが必死に探してくれた病院だったこともあり、とてもいい先生でした。
真摯に話を聞いてくれて、質問をしてくれて、旦那さんも客観的に見た私の状態をたくさん説明してくれました。
「ヨメさんは、ADHDとうつだと思われます」
診療時間は1時間30分程度。
たくさんお話をして、問診を受けた結果、先生はそう言いました。
そしてその場合の治療方法についてもたくさん考えてくれました。
私はショックだった半面、「やっぱりそうだったんだ」と腑に落ちてほっとしたことを覚えています。
それでもはっきりと受け入れることに時間はかかりましたが、もしかしたらこれから楽になれるかもしれない期待感もあって、よくわからない不安と高揚感が入り混じった感情を抱いていました。
その病院は、家から片道4時間もかかる場所でした。
それでも最初は良い医者にかかって、私を少しでも楽にしてあげたいという旦那さんの希望で予約した病院でした。
しかし現実的に通院は厳しく、先生と話し合った結果私たちは転院を決めました。
薬の副作用が出やすい体質なこともあり、今度は片道1時間30分の大学病院へ予約することにしました。
大学病院はすごく混み合っていて、予約が取れたのは3か月後。
正直辟易として行きたくなくなりましたが、旦那さんが一緒に行ってあげるからと予約を取ってくれました。
その大学病院の先生も、とてもいい先生でした。
最初にかかった精神科の先生が、何ページにもわたり細かく診断書を書いてくれていたこともあり、話はスムーズに進み、やはり「ADHDと自閉症スペクトラム症、うつで間違いないでしょう」と投薬治療をすることになりました。
通院ペースは、病院が遠かったこともあり月に1度ほど。
体調が安定したときには、通院を2か月に1度にしてもらえたこともありました。
途中で「子どもを考えていきたい」ことも相談しましたが、否定されることもなく、もし妊娠が分かったら、その時点で投薬を中止するものの、体調が安定しなければ投薬を続けて様子を見ることが出来ることも教えてくれました。
通院していく中で、寝つきが悪く、寝ると悪夢に魘され毎晩叫んでしまうことから「レム睡眠行動障害」の診断が追加されました。
診察時間は10~30分程度。
私が通院を嫌がる事や、客観的に見て状況を説明しやすい人間がいたほうがスムーズだということから、毎回旦那さんも通院に付き合ってくれました。
1度妊娠したことから、投薬治療を中断し、同時に旦那さんの転勤が決まったことからまた紹介状を書いてもらって転院をしました。
今度は私に何かあっても対応しやすい人間が近くにいられるようにと義実家へ引っ越し、家から徒歩圏内の大学病院へ。
どこへ行っても、初診は1時間ほど待つことがザラです。
3度目の初診は1時間30分ほど待ちましたし、なんだかんだ待ち時間と診察で午前中いっぱいかかりました。
今度の先生も親切で、大量になった診断書を読み解きながら、今後の治療方法や通院ペースについて話し合いました。
残念ながら流産してしまったこともあり、現在は投薬を再開して月に1度ほど通院しています。
旦那さんも転勤したことで働きやすくなり、私の通院と仕事をうまく両立してくれています。
以上が、私の精神科通院に対するお話です。
正直、道のりは長かったです。。( ´・ω・`)
精神科へ通院することへの嫌悪感、怖さは、ものすごくありました。
精神科によって対応が良くない場合があることも事実で、旦那さんの知り合いには、それが原因で自ら命を絶ってしまった方もいました。
精神科へ通う場合には、評判を調べてから予約することをおすすめします。
評判がいいところはすごく親切で、今後の生きやすさも格段に良くなります!
もし、自分の状況を客観的に説明できる人間がいるならば、通院に付き添ってもらうこともおすすめします。
精神科へ行くハードルや不安も低減されますし、自分では気づいていない症状や、伝え忘れ、説明しにくい状況に対するフォローをしてもらえるのはありがたく、医者にとっても助かります。
親やパートナー、友人、信用のおける人間ならだれでも大丈夫だと思いますので、ぜひ検討してみてください。٩( 'ω' )و
初診は待ち時間だけで1時間かかる事も多く、診察時間も1時間以上と長くかかる事も多いです。Σ( ˙꒳˙ ;)
休日など、時間にゆとりがある時に予約を取るといいと思います。
そのあと、投薬治療を進めていく場合の診療時間は10~30分程度。
体調に不安がある場合は長くなりがちですが、安定している時には短く済みます。
妊娠を希望する場合には、精神科以外の通院でもそうですが、医師にその旨を相談しておきましょう。
投薬治療を行う薬について考慮してくれたり、授かった場合の対応を教えていただけます。
最後に、精神科は皆さんがイメージしているより怖い場所ではありません。
なんら普通の内科とも変わりのない場所です。(*´ω`*)
評価をリサーチしつつ、勇気を出して予約を入れてみてはいかがでしょうか?
お力になれたら幸いです。お気軽にコメントもくださいね。( ´꒳`*)人(*´꒳` )
また次回の更新でお会いしましょう!
それでは~♪
★まとめ
- 精神科は怖い場所ではない。普通の病院と変わりない
- 正直、精神科には良し悪しがある。症状を悪化させないためにも、評判をリサーチしておくのがベスト
- 初診はとても時間がかかる。待ち時間に1時間前後、診療に1時間~2時間かかる事も多いので、余裕のある日に予約を入れよう
- 投薬により通院する場合の診療時間は10~20分程度
- 妊活を希望する場合には、医師に相談しておく
- 一緒に通院できる付添人がいたほうがよい